COMA-CHI 10th History

日本を代表するフィメールラッパーであり、シンガーであるCOMA-CHI。今でこそ日本でもラップを取り入れた女性アーティストは増えてきているけれど、彼女ほどストリートから着実に階段を登っていった人は見当たらない。複雑な家庭環境から、どうにもならないグチャグチャな思いを歌詞にすることで居場所を作っていたローティーンの頃。HIPHOPと出会い、ただひたすらに思いを吐き出すことで周囲がCOMA-CHIの才能に気づき始め、アンダーグラウンドからメジャーへ、そしてインデペンデントな道へと進み10年が経った。苦しさを言葉にすることで現状打破したい、この思いをたくさんの人に伝えたい、そんなまっすぐな心をブレずに音楽という形にし続けてきた結果、COMA-CHIは“東京非行少女”から“ONENESS”を体現するアーティストになった。“愛されたい、認められたい”という孤独から抜け出し、誰よりも音楽を、世界を、自分を愛することで“愛される、認められる”ようになるまでのリアルストーリーを振り返る。

TEXT/上野真由香

1. COMA-CHI以前~B-BOY PARK準優勝まで

家庭環境の不満に響いたロックやHIPHOP

HIPHOPを聞き出したのは中3くらいの頃。もともとロックが好きで聞いたり作ったりしてたんだけど、反骨精神あふれるHIPHOPに触れるうちに、当時自分が家庭環境に持ってた不満とかにドンドン響いていったんだよね。 私は1人っ子で小学校のときに両親が離婚して家庭環境がいろいろ複雑に変わって、家にいるのがずっと居心地悪かったのね。一人っ子だから他に言う人もいなくて、自分の中に溜め込む以外なくて。その時に書いてた歌詞とかマジ病んでて、明日にでも人殺すんじゃないかっていうくらいひどかった!そうやって書き出すことでデトックスになって殺さなかったんだろうし、そういう表現方法を持ってなかったら犯罪を起こしてたかもしれないくらい。その抑止力になったのがHIPHOPだったんだ。で、成長するとともに家に居たくないからクラブに行くようになった。

クラブ通いからすぐ活動スタート、フリースタイルへの目覚め

HIPHOPのクラブで、最初はシンガーとしてHIPHOPSOULみたいなことをやってて。でも、ラッパーのように2枚使いだったりループだったりブレイクビーツだったりの上で歌うっていう表現方法だったから、もちろんラップも取り入れてたんだよね。ラッパーではなかったけど。

でも、高3になるくらいのタイミングで病み過ぎて音楽辞めようと思って全部辞めた時期があるのね。1年間受験勉強に専念して、全部ゼロになって。その後大学受かって、自分の中で再出発しようってなった時に「やっぱりラップやってみたいな」って素直に思ったの。

で、昔の仲間がやってるイベントとかに顔出すようになって、そこにダメレコのメンバーが結構いて。KEN THE 390とかTARO SOULとかね。そのときフリースタイルも結構流行ってたから、輪の中に入って一緒にサイファーするようになっていったかな。

初めてフリースタイルやったときは、たぶんKEN THE 390とかダース(レイダー)さんだと思うんだけど、「最初はとにかく韻とか考えないで言葉をビートの上にのせる練習をしたらいいよ」って言われて。だから家でもずーっとビートをかけながら今思ってることとかを適当にラップしてた。外で言えないこととかね(笑)。歌詞としてラップを書くときはちゃんと韻を踏んでたから、自然にフリースタイルもできるようになったんだよね。

未だに覚えてるのは、フリースタイルすることで何かから逃れたくてやってたって感覚。何にもやらないとどんどん病んでく自分、そこから逃げ切る作戦がフリースタイルだった部分もある。病んでくそばから言葉にしちゃえばそこから逃げられるから。

依然として病んでたけど(笑)、その頃からはサイファー以外にもクラブでライブはたくさんしてたし、既存の曲にラップをのせてデモテープつくって渡して営業したりとかは普通にやってた。自主制作で「COMACHILLIN」っていうEP作って手売りしたりもした。これが実質最初にリリースしたCDかな(※10周年ライブ特典)。最初は“COMA-CHI”じゃなくて“MC REI”としてやってたんだけど、日本文化を取り入れた名前にしたいなと思ってCOMA-CHIとして活動し始めて。21歳くらいの頃かな。HIPHOPを知っていくうちに、自分のアイデンティティーについても考えるようになって“日本人なのに何やってんだろ”みたいな気持ちになったときがあって。ちゃんと日本文化を知るために大学でも勉強した。歌ももちろん歌ってたけど、ラップを主軸としてみようかなっていうタイミングだったんだよね。単純にラップやってておもしろかったし。当時R&Bシンガーっていっぱいいたし、自分がやらなくても素晴らしい人がいっぱいいるなっていうのもあって。でもラッパーの女の子はあんまりいなかったから、自分がもっと先陣をきっていけたらなっていうのもあったかもしれない。

バトルは私にとって“ツール”のひとつだった

最初にバトルに出たのは、多分シンジュク・スポークン・ワーズ・スラムっていうイベントだったと思う。でもこのイベントは厳密にはバトルじゃなくて、詩人とラッパーの大会みたいな感じだったんだ。disりあうんじゃなくて、言葉を使って与えられた時間の中で表現して、どっちが良かったかって審査員がジャッジしていく形で。そこで優勝してからCOMA-CHIに改名した。何かラッパーとしての手応えを感じたんだろうね。披露するのは曲でもフリースタイルでもどっちでもよかったんだけど、私はフリースタイルをやって。いわゆるHIPHOPのカルチャーだけじゃなくて、いろんな文化の人が集まってたから、とにかくいろんな現場で経験を積むことが楽しかったんだよね。それが私なりの独自のスタイルでもあったんだと思う。

その後、UMBの第1回に出て。ダメレコのみんなが既にいろんなバトルに出てたから「お前も出ればいいじゃん」って言われ、最初はあんまり気がのらなかったんだけど、みんな出るし出てみようかなって。バトルで何を言ったかとかはもう全然覚えてないんだけど、予選勝ち抜いて決勝の8人くらいに残ったんだ。

もうね、バトルの最中は瀬戸際の高揚感っていうかスリルとアドレナリンがすごかったのを覚えてる。みんな私が女だからってそこをついてくるんだけど、私はそれを逆手にとって倍の下ネタで返すっていう(笑)。もともと得意なほうなんで、下ネタ(笑)。

何人か倒していって、でも最初は勝てるって思ってなかったから勝つ度に「うわ、勝てた」って自分でも結構驚きだったんだ。まず出ること自体にビビってたからさ。

その後は3on3とか何個かバトルに出て、B-BOY PARKのバトルに出たのかな。でも、出続けるうちに辛くなっていった。だからバトル自体3〜4回しか出てないと思う。私disるの向いてないんだ。言えるけど、言った後に自分が傷つく。これはヘルシーじゃないなって。

だけど、始めた以上何らかの形で結果を残さないと悔しいから、B-BOY PARKで3位以内に入って表彰台にのれたらバトルは辞めようって決めて、2位になったから辞めた。ラップとかフリースタイルは大好きだけど、やっぱり戦うのって男の人の本能だと思うんだよね。男の人は戦うことで高揚感とか充実感を得る生き物だからこそ、やっぱり男の人がMCバトルやるんだと思う。私は戦うよりは楽しくやりたいからさ。

2. DAY BEFORE BLUEの葛藤と自信

躁うつでも波に乗ってたダメレコ時代

B-BOY PARKで2位を獲った翌年の2月に『DAY BEFORE BLUE』を出して、すごい良い流れとかタイミングがきてた。メキメキ知名度が上昇してるのを自分でも自覚できるほどだったし、すごい波に乗ってる感じはあったね。

波には乗ってたんだけど、バトルに出ながら大学にも通って、『DAY BEFORE BLUE』も並行して作って、当時のことは記憶があやふやだけど躁うつ病だった。うつのときはレコーディングに行けなくなったりもしてた。あやふやな精神状態だったなぁ。作りながらいろいろ悩んでてアップダウンが激しくて、特に生理前とかさらに激しくなるし、うつの最高潮みたいになって、常に生理前みたいな精神状態だったから、そういう頭で作ったよってことでこのタイトルにしたんだ。 理想は描けるのにすぐそこに行けないっていう葛藤もあったし、まず自分自身を認められなかった。ただ生きてるっていうことだけで自分のこと愛せてれば認められると思うんだけど、やっぱりただ生きてるだけじゃ自分のことを愛せないような何かが自分の中にあったんだね。これはCOMA-CHI以前の話でもあるんだけど。自分の感情の波はコントロールできてないのに、COMA-CHIとしての波には乗れてたんだろうね(笑)。

今考えてみると何でそんなに辛かったのかって理由がわかってなかったんだよね。渦中にいるときって何が何だかわかんないし、カオスなんだよ。客観的に見られないから辛い。その辛さを吐き出す唯一の糸口が音楽だった。現実逃避でもあり、現実の消化方法でもあったんだよね。

女性の日本語ラップクラシックを作りたい

『DAY BEFORE BLUE』もどうやって作ったかほとんど覚えてないんだけど、アルバムを作る「生みの苦しみ」っていうよりは「日々苦しみ」みたいな感じだった(笑)。でも「ミチバタ」をつくったときのことだけは覚えてて、とにかく“クラシック”をつくりたかったの。やっぱりHIPHOPクラシックって昔から今までずーっと残ってる曲があって、みんなが一緒に口ずさむ何かがあって、印象的なループがあって。女性で日本語ラップでクラシックってなかったから。それを作れたら良いなと思ってつくったのがミチバタ。躁うつで自分のことは全然客観的に見られてないのに、ミチバタは結構すんなりできた。ダースさんが自由にやらせてくれたから、すごい楽しかったのもよく覚えてる。ジャケットも自分で描いたりね。PVも提案全部受け入れてくれて。ダースさん自身もアーティストで、今までいろんな嫌な思いをしてきたこともあって、「いちばん良いのはそれぞれ自分がやりたいことをやることでしょ」っていう考えだったと思うんだ。だからあの時期ダメレコにいた人たちは今でも残ってる人が多いんだろうね。

アルバムリリースしてからはB-BOY PARK準優勝とセットで雑誌にも取り上げてもらったし、周りの扱い方も変わった。そこで何か一気に自己肯定感が増して、「うわ、認められた!」っていう感覚はあったね。自分自身を認められなかった私としては、色んな人が評価して認めてくれるっていうのはすごく大きなことだったんだよね。ただそれもそれで健康的じゃなかったってことに気づくんだけど(笑)。

3. 客演オファー殺到からメジャーデビューで拡がった世界、でも……

メジャーへの好奇心

だから『DAY BEFORE BLUE』リリース以降は客演オファーもすごくたくさん頂いて。メジャーデビューしてないのに加藤ミリヤちゃんが私に目をつけてくれてフィーチャリングオファーしてくれるくらいになってたから、私ヤバイな、キテんなって思ってた(笑)。今までインディーズで活動してたのが、客演時代にメジャーの世界を垣間見て俄然好奇心がわいたね。関わる人の人数、届ける場所の広さ、もちろんかけられるお金もとにかく全ての規模が違うんだよ。そんな頃メジャーデビューのオファーもあって、どうしようかなっていうときに当時いちばんスゲーって思ってたビートメーカーのmitsu the beatsさんがいるJAZZY SPORTから声をかけてもらったの。 元々はmitsuさんに『DAY BEFORE BLUE』の帯コメントをもらってて、次の曲はmitsuさんにやって欲しいと思ってたら、たまたま『DAY BEFORE BLUE』のエンジニアさんが奥田さんっていうJAZZY SPORTの人だったんだ。そこからJAZZY SPORT社長のmasayaさんとかも紹介してもらって、話してるうちに「ウチ入れば」って誘ってもらって。 でもメジャーって契約に時間がかかるんだよね。2006年に『DAY BEFORE BLUE』を出して2009年に『RED NAKED』でメジャーデビューしたから約3年あったけど、結構あっという間だった。

絶望を吐き出すことで光が射してきた

今までの話の流れで行くと『RED NAKED』の中でキーとなるのは「自傷症ガールdon’t cry」と次に入ってる「perfectangel」につながるストーリーだと思う。 「自傷症~」は自分の体験談からズレた描写もあるんだけど、ここまで自分の気持ちを、うつと戦ってきた気持ちを吐き出せたし、この曲から飛躍的に自分の精神状態が良くなった。「perfectangel」も自分の体験を元にインスパイアされた曲。19〜20歳のとき、家が12階だったんだけど、親がいないときにベランダから飛び降りようと思って足をかけたことがあったのね。でも、フッと下を見たときに誰かの声で「ちょっと待って」っていう声が聞こえたの。そのときから、神様みたいな目に見えない存在とか力を意識せざるをえなくなって、それを歌にしたのが「perfectangel」。全ての神はつながっているのか、1人なのか、いっぱいいるのかわからないけど、誰かしら何かしらいるんじゃないかっていうのは今も思ってる。私が絶望とともに命を絶とうと思ったその瞬間に神様の声が聞こえたから。

ダイレクトな反応が自己肯定感につながる一方で……

そしてこのアルバムをリリースしてから、「自傷症~」を聞いてくれた全国の女性からの反応がすごかったの! 「この曲を聞いて救われました」とか、「ずっと悩んでたけど楽になりました」とか。そもそも女性のリスナーが増えた。メジャーデビューして一番変わったことのひとつなんだけど、『DAY BEFORE BLUE』のときは男性8割だったのがRED NAKEDで男女5:5くらいになって。これはメジャー効果だね。ライブに来る子も女の子がすごい増えて。「自傷症~」で涙を流してる女の子がたくさんいて、その姿を見ることで誰かの役に立ててるんだっていう満たされた感覚を味わえた。ただラッパーとしてバトル準優勝したから認められた、っていうところから一段上がったところの自己肯定感っていうのかな。そこは良くも悪くも、相手が見える音楽になっていったターニングポイントだね。

『DAY BEFORE BLUE』のときはカオスの中で自分のことしか見えてない中で作ってたけど、メジャーデビューしてからは「これを聞いた人はどんな気持ちになるかな」って、リスナーを意識して作るようになった。でもね、これやったら喜んでくれるかなと思って喜ばれるような音楽をつくるのは素晴らしいことではあるんだけど、ちょっと自分を押し殺したりしちゃうんだよね。軸が自分ではなくなってきちゃう。そこで私の中で新たな葛藤も生まれてしまって。昔は純粋にこれがやりたい、こういう表現がしたいと思ってやってたのに、メジャーにいって、周りがお金をかけてくれる状況だったり、色んな人に期待されてる状況だったり、音楽をつくる上での規制とか私以外の人の意見も取り入れなきゃいけなかったりとかして、私がほんとにやりたいことって何なんだろうってわかんなくなっちゃった。それは躁うつとは違って、単純に音楽がつまんなくなっちゃったんだ。

というのも、「RED NAKED」は8割方やりたいようにできたけど、「perfectangel」のアレンジはすごく妥協した部分もあって。J-POPとしては素晴らしいアレンジだけど私がやりたいのはJ-POPじゃなかったから。もともとmitsuさんのトラックで作ったのをJ-POPに差し替えたんだけど、私としてはmitsuさんの音で一貫したアルバムにしたかったっていう悔いは残ってる。

もちろん喜んで欲しくて作った音楽でほんとに誰かが喜んでくれたら嬉しいんだけど、全員を喜ばせることはできない。それだったら私がほんとにやりたいことをやってるほうがいいじゃんって思って。『DAY BEFORE BLUE』のときもやりたいようにやって喜んでくれる人がいたわけだから、自分を押し殺して音楽作って今音楽辞めたいって思ったらまじ意味無いじゃんって。それはメジャーに行ったからこそ感じられたことだね。

もっと大きな舞台で勝負したいと思ってメジャーに行って世界が開けたけど、それを知った上で自分はどんな選択をするのかなっていうのはメジャーデビュー前から考えてたことだった。自問自答を繰り返して、私は純粋なものづくりの衝動をそのまま表現できる環境に自分を置くっていうのが最優先事項だなという結論に行き着くんだけど。

とにかくこの頃は外から見える私っていうのを自覚してきた時期。いろんなHIPHOPシーンの先輩方に期待してもらったっていうのも大きかったし、女の子のラッパーでガツンと行った子がいなかったから。期待に応えたいと思って「RED NAKED」とは言いながらもある種COMA-CHIというものを「演じてた」部分もあったね。

純粋に嬉しくもあり責任も感じたB-GIRLイズム

元々はレーベルの人が日本語ラップのカヴァーをやってほしいって言ってたんだけど、私としてはカヴァーは違うなと思ったから「B-BOYイズムをB-GIRLイズムとしてリメイクするのはどうですか」って案を出したら通って。

ライムスターからもOKを頂いてMummy-Dさんに話に行ったときに、「その当時のブレイクダンサーのアンセムを俺らは作りたかったんだ、B-BOYイズムはダンスシーンの熱さを歌ってるんだ」っていう話を聞かせてもらった。その場所に偶然そのブレイクダンサーの方もいて。その話を聞くまでは曲の背景を知らなかったから、じゃあ女の子でブレイクダンスやってる子たちのイズムを歌にしようと思って書いたの。だから「落ちた化粧も今は勲章」っていうのはそういうイメージから生まれて。たぶんアルバムの中で一番書き直した曲だね。ライムスターから重圧をかけられたわけじゃ全然なくて自分が勝手に重圧をかけてただけなんだけど(笑)、これはもう自分が日本語ラップで最初に歌えるようになった曲だし、嬉しくも責任感もあって色々試行錯誤した。

Mummy-Dさんはすごい応援してくれて、ポニーキャニオンの社内用のプレゼンみたいなところで「俺らの妹分のCOMA-CHIを是非よろしくお願いします」って言ってくれたの。感動した。Dさんは私が初めてクラブで話しかけたラッパーでもあって、familyでやってたイベントにDさんが出てて、「Mummy-Dさんのラップを聞いてHIPHOPやりたいって思ったんです」って言ったら「たくさん本を読んで肺を鍛えてがんばってね」って言ってくれて。そんないちファンだったところからB-GIRLイズムを歌うようになるなんて、感慨深いよね。

4. 私が本当にやりたい音楽って?

周りから求められるものと自分がやりたいものの狭間で

それからは常にメジャーの提案に自分らしさをどうのせるかっていう試行錯誤をしてた。「RED NAKED」の次にリリースした「LOVE ME PLEASE!」も1曲めは自分でトラック作ったりね。このアルバムの中ではやっぱり「perfectangel」のDJ HASEBE REMIXがポイントかな。結構なアンセムになったし、もう7年前の曲だけど今の若いラッパーの子たちが一緒に歌ってくれるしね。原曲自体は人気のある曲だったんだけど、やっぱりメインフロアでかけられる感じじゃなくて。やっぱクラブで盛り上がってるときに聞きたいよねってことになって、HASEBEさんにお願いしたのかな。それからはライブでもみんなが手を振って盛り上がってくれる曲になったよね、REMIXのおかげでね。

その後は特に配信を軸に会社が考えてて、今回の曲はバレンタインがテーマ、次は卒業がテーマ、そのために曲を書くっていう感じだった。正直「私何やってるんだろう」って思う部分もあったんだよね。

どんどんいろんな人と出会って刺激を受けて世界が広がっていく中で、どうやって物事が回ってるのかわからなかったところから、世の中のシステムってこういうふうになってるんだっていうのが見えてきたんだ。なんで配信を軸にするのか、とか、その宣伝費用はどこから、とか。そういういろんなものを理解した上で、自分がどういうふうにやっていくと自分らしく生きられるのかなっていうのを自問自答した結論が「自分がやりたいことをやりたいタイミングで表現していく」ってことだった。

アルバム「Beauty Or The Beast?」の裏テーマ

その結論に至るまでの中で、当時「ラップのときと歌のときのCOMA-CHIって全然違うよね、別の人が歌ってるのかと思ってた」って言われることがすごく多くて。私は全然意識してなかったんだけどそうかと思って、自分の中に2人の自分がいて、使い分けてたりする部分も自分では気づいてないけどあるのかなって思うようになって。考えていくうちに世の中には男と女がいて、朝と夜があってって2つの陰と陽で成り立ってるなっていうのに改めて気づいて。そこから「Beauty Or The Beast?」のコンセプトができていった。大きな裏テーマとして「陰と陽があって、それが両方でひとつなんだよ」っていう。だから最後「oneness」で締めてるの。

このアルバムをリリースしてからJAZZY SPORTのmasayaさんともたくさん話して引き止めてもらったけど、自分で自分の責任をとってやれるようになってみたいっていう気持ちは変わらなかった。メジャーの作り方に乗せられてる自分だと、心底輝けない。音楽があんまり好きじゃなくなってきてるってことも話して、理解してもらって。

で、とりあえずやってみようってことでメジャーを辞めて自分でレーベルをつくった。

5. 全て自分の責任で、魂の声に従う

フラストレーションが原動力になる

メジャーは数字主義で、それが嫌で自分の魂に従ってやっていきたいと思って辞めたのが2011年の2月。そして3月に震災があって。原発の話も出てきて、「一体何がほんとの豊かさなんだろう」っていうのを表現したいなって思ったときに絵本のストーリーが浮かんで、「太陽を呼ぶ少年」をリリースした。政治ってなるといろんな難しいことがあるのはわかるけど、アーティストとして何かを表現することに対しては、お金より人間の魂とか愛をベースに生きていこうよってすごい強く思ってて、それを形にしたんだよね。あと、絵本をつけることでどこかで子どもたちに届けたいっていうのもあった。

メジャーで感じた「好きなように動きたいのに動けないなー」っていうフラストレーションを原動力に、それからもどんどんリリースできたんだよね。「MADE IN SUMMER」と「GOLDEN SOURCE」と立て続けに出した。PVも自分で編集したりすることもあって。作ってみたいっていう好奇心がすごくイメージになって、やりたいようにやってたね。「MADE IN SUMMER」は沖縄にインスパイアされた部分がたくさんあるEP。沖縄って昭和の日本みたいのが残ってる場所だよね。琉球王国の歴史ももちろんあるけど、シンプルライフみたいな価値観に心をつかまれたところはすごくある。オープンマインドで人の暖かさでつながっていく喜びみたいなをより教えてくれた場所。1人でふらっと行って、旅の仲間ができて、「1曲やってよ」って言われることが多かったから、そこから弾き語りをやりたい熱も湧いた。それは震災後に福島で避難所に行った時もそうだったんだけど。“グッドバイブスとはなんぞや”っていうことを考えさせられて、私の音楽を通してその場の空気がひとつになっていくような曲を作っていきたいとも思うようになった。それが「getting hot」とか、その後の楽曲に反映されてるね。

「Golden Source」は生バンド主体でアルバムを残したくて作った1枚。この頃から生バンドに傾倒しだして、オケでライブするほうが不自然になっちゃった。今は全然そんなことないんだけど、みんなで音を鳴らしてる気持ちよさとハッピー感が圧倒的になって。COMA-CHIバンドのメンバーでもあるROOTSOULから始まっていろいろ紹介してくれて、韻シストにも参加してもらって。彼らは自分とスタンスが最大公約数的にハモれて大好きな仲間!

今までは私のことを聞いてくれっていう歌だったからトラックだけでも表現できればなんでもよかったけど、この時期から誰かとつながって音を出すことが心地いいっていう風に変わってた。私という人間が変わっちゃったんだね。

やりたいようにやれることで充実感が増していく

でも自由にはリスクはつきもので、自分でレーベルを回すために全てをやってみると結局経済も大事だってことに気づくんですよ(笑)。事務手続きとか諸々含め。メジャーでは宣伝担当の人がやってくれてたことも全部自分でやるわけだし。でもそれもすっごい良い経験だし、この道を選んで良かった。一時期は自分がやりたいことをやっててもみんなに伝わらなすぎて、もどかしく感じることもあったけど、会社の犬になって言われるがままの曲作るより全然良い。ただ生産的に音楽をつくるのって私は続けられないな。実際に1人になってみてそういうことに気づけたから、今もしまたメジャーにいったとしたらもっと別のやり方ができるかもしれないけどね。

今はバンドサウンドにこだわりすぎず心地いいものをやりたい。トラックだけのライブも復活させていいのかなとも思うし。バンドを経由した何かおもしろい編成は付け加えたいけどね。

6. 10年間を経てどんどんフラットな自分へ

振り返り、HIPHOP熱再燃、ライブ主体

ほんとに10年っておもしろくて、いろんなことが1周してるんだよね、原点回帰的に。過去のカオスとは状況は全然違うんだけど。

メジャーで活動してたときの後半くらいから私の中のHIPHOP以外の音楽への興味のほうが強くなっていって。例えばジャズとか、人と人の出す音がからみ合ってすごい熱量まで持っていくっていう音楽に対する感動が原動力になってた。でもケンドリック・ラマーが出てきて去年の「To Pimp a Butterfly」聞いて、「やっぱりHIPHOPスゲー」って彼が思わせてくれた。彼のグラミーでのパフォーマンスとか、アンダーソンパックとかもそう。普通に音とラップがかっこよくて、アルバムの作り込み方とかストーリー性、リリック、全部すごい。で、ライブがバンドで、バンドのかっこよさも詰め込んでるし。そんなこともありつつ「so hard,so strong」は10周年を意識して作ったんだけど、自分の中でのHIPHOP熱再燃とか、10年前の自分を振り返ったりとか、全部いろんなことがリンクしあって原点回帰っぽい曲になったかな。流れに身を任せる中で、魂の声に従ってきた結果今ここにいるんだなって改めて自覚できるというか。

あとはアルバム主体で考えてたのをライブ主体で考えるようになった。ライブでやりたい音楽を出してすぐみんなに聞かせて、それをもうライブですぐやる、みたいなシンプルな発想になってる。

この10年で、私は膝をかかえて孤独と戦ってた都会の女子から湘南在住のゆったりママになるっていう大変化を遂げ(笑)、人間がここまで変わるんだなっていうくらい変わった。エゴエゴエゴ、それすら苦しい、みたいだったのがいろんな場所に好きな人がいて、私はそういう中のひとつのピースであって、全体を見られるようになった。 だから私の存在を通して、「自分も勇気を持って心の声に従って生きてみよう」って思えるキッカケになれたらいいなっていうのが今の一番の願いであり、音楽を続けるモチベーションでもあるんだ。心の声は恐怖からじゃなくてワクワクからくるんだよ。そこをみんなわからずに行動してる気がする。人間が体をもって三次元で生まれてくるってこと自体、恐怖と生存をかけての戦いが始まってるわけで。その時点で恐れをベースにした選択をしていくのはまっとうなことでもある。子供のころはワクワクをもとに行動できてたのに、いつのまにか親やコミュニティ、社会のなかでワクワクを抑圧していく。私は大人になってもなぜか心の声に従うスイッチを持ってるんだけど、勇気なくて心の声に従えない人ってたくさんいると思うんだ。そんな人達に向けて、私はこれからも聞いた人がアガってくれるようなものをつくりたい。日本だけじゃなく、世界の人にも届けていきたいな。ここ数年で海外の人とのコラボレーションも増えてきていて、日本語のラップと英語のサビっていうスタイルでやった曲もあるのね。あと、「太陽を呼ぶ少年」に入っている「Endless Rhythm」はフランスですごい流行ってるみたいで、みんな日本語だと思わず曲とかフロウがかっこいいって言ってくれてるみたいなので、すごく手応えを感じてる。なので日本語ラップと英語のサビっていうスタイルの楽曲ばかりのアルバムを作って、海外の人にも「日本語ラップってカッコいいね!」って思ってもらえたら良いな。

****************************************

社会がどんどん窮屈になっている今、私達は“ワクワク”からの行動ではなく“批判されるかもしれない、嫌われるかもしれない恐怖”から行動することが多くなっていないだろうか? COMA-CHIの音楽が心に響くのは、“売れたい”とか“好かれたい”などという周りの目を気にしてのある種幼稚な欲からではなく、彼女自身の心から溢れてくる言葉やメロディー、ビートを飾ることなくありのまま形にしているから。それは鬱々としていた「DAY BEFORE BLUE」の頃からかけがえのない存在を愛しぬく強さを感じる「so hard,so strong」に至る現在まで変わらない。彼女の音楽にあまり触れたことのない人も、ずっとフォローしてくれているヘッズのみんなも、いつでもオープンなCOMA-CHIの音楽に今一度耳を傾けてほしい。そこには必ずあなたが持て余している孤独や悲しみを癒やし、気分をアゲてくれる愛が溢れている。